綱渡り/myself

どうしても就活というものに抵抗を感じてしまうのは、

自分に対して信頼を置けていないせいだろうと思う。

それは、他人に保証してもらうものではなくて、

きっと、自分で意識するものなのだと思う。

僕は自分の能力について、かなり正確に把握していると自負する。

サラリーマンには不可欠の謙虚さや、長期的な完遂率、ある種の上昇志向、一貫性…そういうものが僕には決定的に欠けている。

僕は本質的に、広範な興味の変わりに一貫性に欠き、移り気ゆえに完遂率が低く、執着心や物欲に乏しいために上昇志向や給金に対する拘泥が無い。

ひとたび職に就いてしまいさえすれば、その誠実さによって忠実に職務を果たすであろうが、選択の段階においては誠実さは欠片も無く、ただ、煩悶とするばかりだ。

僕の欲というのは、一直線に向いているのだが、良識だか打算だかが色々と捻じ曲げてしまっていて、とてもまっすぐに進めない。

エントリーシートなぞ取り組んでも、派手に飾り立てた自信過剰と飾らなさ過ぎる率直さが交互に現れて、まだらな印象になる。

そうなると、自分の異質さに嫌気が射して、全てを抛り出してしまうのだ。

そういうものを一切排して、ただ一直線に向かえたら、それはそれで良いのだが、それに待ったをかける異なる欲求も在って、また、迷う。

いずれにせよ、僕が自由な時間も僅かであり、その間に最初にして最強の武器を手にするしか無さそうである。

と、抽象的な決意表明を一体何度行うつもりなのだろうな?僕は。

結局、対立する複数の何かの境界に身を置き、綱渡りするような日々が続くのは、その不決断のせいであろう。