トランプの顛末/daily
事実は小説よりも奇なり。
[George Gordon Byronの言葉]
ていうか、事実は小説よりも怖いよ。
世にも奇妙な話なので、格納しますね。
今日の話。
夕方、箱崎九大前から地下鉄に乗った。
思えば、“日常”であったのはここまでだったのだなぁ。
座席に座る時に、何気なく向こう正面に座るおっさんと目が合った。
何気ない、良くある光景だ。
僕は特に気にする事無く、目を瞑って眠りに入ろうとする。
おっさんはおもむろに足元の鞄に手を伸ばす。
これも、よくある光景。
その徐々に狭まる視界の端に、おっさんが鞄から取り出したものがちらりと見えた。赤い、何か。
赤と言うのは血の色であるため、誘視性(本能に訴えかけて視線を誘う性質)が高い。
僕は、ふと、それが何であるかを確認しようと目を再び開いた。
それは、トランプだった。
赤地に…水色で象が描かれた…プラスチックの安物…端のプリントがかすれるほど使い込まれている。
僕はそこまで認識して、目を見開いた。
(去年拾ったトランプだ…!)
そういえばあれも同じ貝塚線だった。
これほどまでの一致…恐らく持ち主に間違いないだろう。
おっさんは、当たり前のように電車の中でトランプをシャッフルしだした。
手馴れている印象。
更に、何か手品をするかのような動きを見せている。
僕はそこで目を閉じた。
直視するのが怖くなっていたのだ。
今日は5月17日…拾ったのは確か、7月15日…もし、記憶が確かなのならば。
必死に思い返す。
本当に7月15日か?…いや、間違いない。ハートの7に、スペードのエースと5…映像での記憶に間違いは無い。
…嘆息する。
せいぜい小学生の落し物と思っていたのだが、これは本格的に気味が悪い。
しかも、僕はあれを捨ててしまっている。
確か拾った翌日の事だ。
僕「あれ?カード無いな。どこやったっけ?」
母「カード?…ああ、捨てたけど?駄目だった?」
僕「いや、いいや。そうならそうなんだろうから」
母「そう?」
僕(ま、妙に年季が入ってたし、早めに処分して置いた方が良さそうだしな。これで良かったんだろう。南無尊。)
しかし…うん。捨ててて良かった。
こんなおっさんの持ち物だったとは!
もっと神秘的な美人とかだったら良かったが(ある意味もっと怖いが)、こんなおっさんとの奇縁なぞ、この二回目の偶然で勘弁である。
これが捨ててなかったら、もっと何か奇妙な目に遭ったかも知れんからな。くわばらくわばら。
…と、そこまで考えて僕は再び目を開いた。
おっさんはカードを操っている。
てか、地下鉄の車内で平然とこんな事をやるとは、まず常人じゃねぇ。
しかも、なんかこちらの動きを窺っているような気がするし…捨てた引け目だろうか?
おっさんはカードを曲芸のように操り続け、僕はおもむろに読書を開始した。
直視するでもなく、無視するでもなく、様子を窺い合う二人…。
何でこんなのが寄って来るかな?僕の人生には?
やがて、天神が近付いてきた。
どうやら向こうも降りるらしい。
丁寧にスーツ毎にカードを分けていく。
伏せられた5つのカードの山。
…3枚欠けている筈だが…
(捨ててしまったと謝るべきだろうか?)
そう思ってしまう時点で僕もかなりの変人なのだろう。
が、僕の中の常識がそれを制する。
(いや、全て気のせいだ。あのカードの持ち主と決まったわけじゃない。確率は高いが、確実ではない…)
そう、僕はこうやって非常識と常識のバランスを取っている。
自身の非科学的な直感気質を抑制するべく、理系に進んだ成果がこれだ。オカルトとサイエンスを相殺しているのである。
普通の人よりも非効率ながら、必然の機構。
やはり、変か。
そうして、列車を降りた。
心の中で、
(一応、捨ててしまってすいませんっしたっ!)
とか思いっきり謝りながら。
…そんな、小説よりも奇なるかな現し世は、な話でした。
ところで、過去のトランプの記事が見たかったらこちら。
さて、このカードの件は、吉兆か凶兆か判断しかねるので、次の7月15日を警戒する事だけは心に留めておこうと思う。
僕は、霊的なものについては、マスコミュニケーションで取り上げるほど信頼に値するものではないと考えています。
しかし、個人的には「実在したら面白いなぁ」くらいに考えているので…
それが危険なものならば避けるにしくはなし。
楽観的なものであれば基本的に信用しない。
…そういう態度です。
昔からこういう微妙に奇妙な話に片足つっこんじゃうんだよなぁ。
体質なんだろうか?霊感は無いんだけどねぇ?
昔ヒトガタみたいの拾った事あるし。
いえ、鄭重に念仏唱えて南無南無しときました。
基本的に拾った物は手元に置かないようにしています。
お金もすぐにどっかに寄付したり、ジュースにしたり。
怖いから。ホントに。
でも、もう拾うのもやめようかな…これは…。
南無南無。