人口減をどう捉えるか/社会
「人口が減少しながら経済成長を遂げた国家は歴史上存在しない」
と言う人々が居て、
「だから、人口を増やす」或いは、「労働力として移民を受け入れる」
と言う人々が居る。
また、
「人口が減少すると暗い未来が訪れる」
というような発言を行う人が居る。
果たしてそうだろうか?
僕はこれらの議論に疑問を持っている。
これらの弁は人口減を原因として論理を構築しようとしている。
その前提が間違っているのではないだろうか?
僕は人口減は結果として捉えるべきではないかと思う。
経済成長や社会の安定が人心に希望を生み、安心して子供を生むからこそ人口が増える。
経済不振や社会不安が人心を国から離れさせ、生み控えや移出に繋がって人口が減る。
この認識が正しいのではなかろうか?
だから、
「人口減は、社会が不健全な状態だからこそ生じる現象であり、歴史上においても、不健全な社会が経済成長を遂げ得ないのは当然であった」
と、こう語るべきではなかろうか。
歴史上の人口減は、乱世や疫病の流行などの「社会の荒廃」の結果がほとんどであろう。そんな荒廃状態で経済成長を遂げた国など存在するはずが無いのは当然ではないだろうか。
近代以前、世界は多産多死であった。多産多死とは、多く生んでも多く死ぬから人口がなかなか増えないのであって、多く死ぬのは経済的な貧しさと医療などの技術が低かったからである。
そう考えるとむしろ、経済的に豊かで医療などの技術が進んだ現代―少死の時代で、少産によって人口が減少することが、歴史的に見て恐ろしいほどに異常だと言えるだろう。
前提とする社会情勢が異なるのに、それを無視して歴史を紐解く知恵者然とされても困る。
「人口増=経済成長」を裏返して、「人口減=経済鈍化→暗い未来」とはレトリックに過ぎない。
「社会不安→人口減≠経済鈍化」であるべきだ。
人口減の下でも経済成長する歴史上最初の例にチャレンジしても良いじゃないか。
いや、むしろ微視的に見れば過疎化において経済成長を遂げた自治体の例も存在する(アドレスや参考文献を挙げられない愚をお許し戴きたい)。既に例はあるのだ。
経済は回復基調に乗り始めている。
しかし、皮膚感覚として子供を育てるのに安心な社会情勢とは言い難い。
まずはその違和感を解決するのが先決である。
あくまで私見だが、社会全体が責任を持って子育ての時間の確保や支援体制の構築を行い、21世紀にふさわしい教育制度・教育内容の確立、弱者を守る防犯体制の構築、成長した先の理想的な就業環境の創造…総合的な暮らしやすい社会、一生涯を通じて生き甲斐を感じられる社会の構築を目標とする事が重要ではなかろうか?
とにかく、
経済成長が生活の質の向上につながり、それが国是となっていた(「経済成長=生活の質の向上=国是」)、そういう時代は終わった。経済成長の負の面を意識するようになってしまったからである。
生活の質の向上には、もっと別のアプローチを考えなくてはならなくなったのだ。
まずそれを考え、同意を取るべきだろう。
そのコンセンサスがないからこそ、今、国は少子化対策に有効打を打てていないのではないだろうか?
国レベルでのコンセンサスが取れなくなっているのであれば、国レベルでの思考=トップダウン思考を捨てるべきだ。
そろそろその辺りの改革に着手すべきときなのだと僕は思う。