コミュニティ再生に関する一考察(仮)

まちづくりという名のコミュニティ再生が各地で進んでいます。

「防災まちづくり」、「防犯まちづくり」、「景観まちづくり」、「観光まちづくり」・・・などなど。さまざまな分野からのアプローチで地域を住み良くしようという試みが各地で成され始めていて、非常に興味深いです。

地域で最も緊急性の高い話題から入ったこれらの活動が、そのままコミュニティ再生に繋がってくれればいいと僕は思います。

今日はそんなコミュニティ再生についての一考察を長めに書こうかと思います(たまにはちゃんと研究もしてるんだというところを見せようというしょうもない動機ですが)

さて、これからの時代はコミュニティ再生が地方行政の重要なテーマになるでしょう。いえ、以前から注目されていたのですが、それが一つの大きな流れになろうとしています。

では何故重要なのか?

理由の一つは、地方自治体の財政難にある。

地域が自分の力でできることをやらなければならない時代がきっと来る。その時には、コミュニティ単位での活動が必要になるだろう。

理由の二つ、コミュニケーション力育成の場所を社会が必要としているから。

近年、コミュニケーションが苦手な人が増え、隣人トラブルが発生し若年層や高齢者にひきこもりが増えている。それは受け入れる側もそうであるし、出て行く側も意志の疎通に繊細さが必要だから。

理由の三つ、育児と介護においてこれから地域ぐるみで取り組む必要があるから。子供を育てるのは人によってはとても難しい。高齢者を介護するのは肉体的にも精神的にも苦労が絶えない。それを地域で助けてあげることはとても大事。それに、そういう活動に子供が参加すると、「子供を育てること」、「親を介護すること」に正しいイメージが身に付くと思う。僕は、近年の少子化には子育てとはどうすることなのかが理解できていない若い人が多いからではないかと思う。子育てや介護について偏りの無い一貫したイメージを持つことは、それを実際に体験することへの抵抗を減らしてくれると思う。

理由の四つ、社会通念の醸成の場として必要であると考えられるから。

今の世論は非常に狭い範囲で形成されているのではないかと懸念しています。それは例えばある既婚サラリーマン男性を想定したとしますと、彼は政治の話を家庭か職場でしかする機会がありません。こうなると、彼の政治に対する意見が自らの勤務する会社の立場や、同年代の立場に偏ってしまうことが容易に想像できます。こういう狭い社会ではなく、多様な職種・年齢が存在するコミュニティの中でコミュニケーションを取る中で、より広範で公平な社会認識を得る事ができるのではないかと思います。

インターネットなどのブログも本来は多様な意見の連結の為にあるのですが、その匿名性が極端な意見を生みがちです。匿名性が無く、しかも、生活密着度の高いご近所さんとの意見交換で得られるものは大きいと思います。

しかし、この流れを阻害する要因もいくつかあります。

一つは、過剰なプライバシー保護。

プライバシーの保護は確かに個人の尊厳を守る意味で重要ですが、過剰に守られると地域活動に悪影響が有ります。プライバシーの保護については、ここからここまでがプライバシーとして保護されるべき情報であるという明確なライン引きをしなくてはいけません(現状はとにかく全て保護という印象)。防犯・防災面からもある程度の個人情報が必要です(最近は学級連絡網が無くなって、通り魔などの発生の速報性が損なわれているそうですね)。どれを、どの範囲まで知らせるのか明確な共通認識を構築する必要があるのではないでしょうか。

二つは、国から地方に至る一貫した姿勢の欠如。

既に様々な取り組みが各地で行われていますが、それらは国、県、市町村の行政主体のレベルや、国交省経産省などの省庁のセクタで別々に活動が行われていて、それをアドバイザーとして入る大学・NPOなどがより広範な取り組みに広げようと努力しているというケースが余りに多い。これを一貫したシステムに則って行うには、地方の権限を強化して、より地域に密着した行政サービスが可能な地方自治体へと変質させることが理想でしょう。

三つは、ゆとりの問題。

なんだか17時定時退社が悪いみたいな風潮がかなり浸透してしまった感がある今日この頃。家族の為に家庭を犠牲にする企業戦士が育てた子供が、ニートやらなんやらになっているのはやっぱり何か相関があるのではと考えています。

僕は17時定時退社が週6日中4、5日あることの方が、週休二日なんかよりよっぽど社会にとってプラスだと推測しているのです。それは例えば、たった一時間でも日暮れまでキャッチボールをしたりする事以外に、17時18時の町を子供だけでなく大人も歩いている事による防犯の効果や、サラリーマン当人の毎日の疲労の回復、その他諸々に良い効果があるのではないかということです。

これらの諸課題を乗り越えてコミュニティを再生する事が、近年の様々な社会問題を解決する契機になるのではないかと思います。

長くかつ、未成熟な仮説ですが、コミュニティ再生に関する一考察でした。