春思う頃、花咲かず

「好きな人とかおらんの?」

小中高そして大学時代と何度こう訊かれたでしょうか。

僕の回答は決まってこうでした。

「わからん。みんな同じくらい好きやなぁ」

こういう答え方をすると、「隠してる」とかひどい場合には「ムッツリ」とか言われるのが10代の常。自分でも余り一般的でない回答だとわかっていましたから、そういう反応されるのは仕方ないと思っていました。

といっても僕も結構悩んでいたんですよ。だって、「思春期には恋の一つや二つするもの」っていうのが普通ですから。だからこの答えは繰り返し、繰り返し考え抜いて得たものでした。

中学生の時は恋愛沙汰を考えるまで心に余裕がなかったので、恋愛について割と真剣に考え始めたのは高校の時からですね。

つまらない返答をされて不満たらたらの友人達を他所に、僕は考えます。

(実は、僕は誰か好きなのではなかろうか?)

(だとしたら誰だろうか?)

(女の子となら誰と話していても楽しいし、どきどきする。けどそれは誰にでもそうだから、単に女の子と話すのに慣れていないせいだと言えるなぁ)

(そもそも誰か一人を選べるという感覚がわからない。じゃあ…もしかしたら僕は単なる女好きなのか?違うな。『話していて楽しければ良い』っていう感じだ。なんか子供じみた感覚だなぁ…)

(逆に、告白されたとして誰となら付き合って良いと思えるかなぁ?でも今の僕の感覚は付き合うってのが解って無いから、相手に一言その辺は断らなきゃなぁ)

(ってか、まだ付き合ったりなんたりまでしなくていいや。今は友達と話していて十分に幸せだし)

(きっと恋というのはもっと直感的で理由の無いものだから、それがやってくるまで僕は周りに流されずにじっと待っていよう)

…ぐらいの感覚だったかな。

それに僕には一種の信仰があって、

恋というのは、『告白されたら』とかそういう打算じゃなくて、『誰が好きだろうか』なんていう理屈でもない。

理由なき昂揚と、湧き立つような感情の発露…きっとそういうものだろう、と思っていました。

そしてそれはいつか僕にも、突然やって来る。

そうあって欲しい。

そういう風に、僕はすごく楽しみに待っていました。

そういう高校時代でした。

のらりくらりと天然自然に任せて生きてきましたよ…。

そんな自然な感情任せマイライフです。

なんでこういうこと書いたかというと、「そういう人もいるんですよ」っていう意見表明というか何と言うか…「そういう周りに流されない姿勢も良いじゃない?」ってことで。