思考/凹

どういう風に生きれば満足を得られるだろうか?

僕は知ってしまっている。それが何よりも楽しいことを。

僕は知ってしまっている。それが何よりも難しいことを。

彼は言う、「俺は知っている。お前はそんなに強くは無いことを。」

君は言う、「私は知っている。あなたには才能があることを。」

奴は言う、「あきらめろ。俺達には何の才能も無い、意志も弱い、希望も無い。それを知るべきだ。」

冷静で前向きな、柔和で善良な、冷酷で自暴自棄な、そして繊細で気弱な僕は混沌に飲み込まれる。

普通が良いんだ。でも、普通にも適応していないよね。そう、いつも自分の意見は理解されない。

それは喋る訓練をしていないからだ。書き言葉は得意。そいつぁどちらも、疑わしいね。

夢を見るような歳じゃあない。そんなこと分からないよ。そうだもう諦めるべき頃合だ。

好きでもない仕事をして生きていく人生に何の価値があるというの?

それじゃあ、あのまちづくりへの思いは嘘だったのか?

嘘だね。だってずっと解っていた筈さ。ずっと、中学生の頃から。

そうじゃない。まちづくりの必要性は理解しているけど、ただ自分が相応しいと思っていないだけ。

そうかな。冷静ささえ保てれば巧く行くと思うんだが。

んなわけねぇだろ。これまでどんだけ失敗してきたと思ってるんだ?

失敗は、仕方ない。

そうだ、これからどこへ進むかだ。

俺はどこにもいけないと思うがね。

それは誰にも分からない。

そうだ、わからねぇんだろう?

そうだ、分からないんだ。

どれが正しい?

多重思考は役に立った。

自分の主観を瞬時にシフトして、環境に適応する。

そうしていろいろなグループに適応してきた。

従順な僕、冷静な俺、柔和な私。

その例外、ストレスから生まれた俺の変形の俺、残酷で自暴自棄。

それらの微妙な重ねあわせが現実世界を漂流している。

外的環境に対応するにはそのどれか一つでは困難だ。

外的刺激に対して、僕は混じり合い、混乱しながら対応する。

従いつつ冷静に、或いは冷静に柔和に、或いは冷静に攻撃的に・・・。

外的刺激が無い、内的世界の表出する文章の世界、Webの世界では、それらが単独で存在しうる。

定まらない人生観。

生き死にの境界。

望むもの。

糧。

生きるために必要なのは?

何が必要だろうか?

本を読み、考え、考えて、本を書く。

違う!

金。

糧とは金。

夢は金ではない。

夢は夢。

金を稼ぎ、食糧を買い、料理して、食う。

生きるために必要なもの!

そうだろうか?

物質的に満たされて、それだけ?

忘れていないか?自分が自分を精神的な要素の大きい人間だということを。

肉体的精神的弱さを精神の作り出す屁理屈で埋め、生きながらえたことを。

外的圧力に対抗するため、内圧を高めたあの頃を。

内部の密度を高めることで自分の中での奴らの位置を低下させたあの頃を。

その機構は今も生きている。生きて外圧を内圧へと変換し続けている。

その弱さと、機構が問題だ。

見えているのだろう?この分野における自分の限界が。

そうだ、この分野においては自分は非常に限定された能力しか持っていない。

それは思考によって乗り越えられる問題だが、思考によって問題を乗り越えることと精神への負荷の問題は無視できるレベルではない。

極めて効率よく統一されている状態ならば、何の問題も無い。

しかし、何らかの形で負荷は加わる。それは絶対安定の状態ではない。

枚挙に暇が無いくらいの分離の例がある。

分離すれば必ずこうして文章を書き、纏め上げる作業が必要になる。

それを職業にしようというのだ、悪くはないだろう?

圧力は高まり続けている。いつか必ず何らかの形で流出する。

タイミングを間違えば暴発。自分か、他人かを傷つける。いや、すでにもう傷つけている。害悪は流出している。

固定された組織の中で、己を律することのできない者の存在は害悪でしかない。

しかもクオリティが一定しないなど論外。イビツな歯車は外されるべきだ。

一回転する間にピッチが変わる歯車。そうだ、俺はイビツな歯車だ。

イビツな歯車は鎔かして直すか、それが生きる機構を組むか、それとも要らない歯を磨り減らして無理やり社会に収まるか、どれか。

どれだ?

一番長く生きれるのは、どれだ?

俺は痛みに弱い人間だ。きっと磨り減る時には心が痛む。きっとそうして死ぬ。

だから生きるには自分がぴったりくるところを自分で探さないと。

そして、それを僕はずっと知っている。

俺はそれを否定する。

私はそれを肯定する。

俺はそれを否定する。

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