森博嗣『すべてがFになる』(講談社)

森博嗣が世に現れ、助教授・犀川創平、お嬢様・西之園萌絵、そして天才・真賀田四季が堂々登場の初単行本。

彼らの人物造形は非常に稀有である。

なにせ真賀田四季はのっけから165×3367をふっかけるし、対する西之園萌絵はそれを暗算でやってのけるのである(でも、この計算と答え自体は結構有名)。

これがうら若い娘さんたちが閉鎖空間でモニタ越しにする会話だろうか?

以後も、そのテンポは小気味よいのに、内容的には難解なやりとりが続く。

分野を跳躍して進む会話、一見不連続な発想の連鎖・・・。

犀川創平が登場すると、今度はコンピューターの話・・・一家に一台以上の今ではないので、当時の読者は苦労させられたことと思います・・・・。

さて、萌絵と犀川は再び真賀田研究所を訪れる。

真賀田女史と会う機会を求めて、ゼミ旅行のキャンプの場所に真賀田研究所がある妃真加島を選んだのである。

しかしそこで二人が遭遇したのは、生きてはいない、ロボットに乗せられ黄色いドアから出てくる真賀田女史の死体だった・・・。

真賀田女史が居たのは女史が幽閉状態にあった密室・・・何者が、いつ侵入し、どこから、どのようにして逃げ出したのか。なぜ?何のためにそうしたのか?そこに必ず動機はある。

理詰めで迫るのは、犀川&西之園のS&N師弟コンビ。

かつて無いアプローチで密室殺人が描かれる・・・。

文理問わずとにかくお勧めです。食わず嫌いしないで。

僕は人を理系文系で分けるのは嫌いです。

数学も、物理も、論理で作られ、論理で理解できるものであって、それは政治学や法学と何ら変わりないわけです。

確かに数学的センスというものは存在します。しかしそれは理系を理解するのに絶対必要なものではありません。有れば理解は早くなる、その程度です。本当に必要なのは知識と思考力、しっかり考えれば理解できます。

数学も、プログラミングも、動機も・・・。

ただし、この『すべてがFになる』で要求されているコンピュータに関する知識はハードル高いですけど・・・(―_―;)・・・解るかこんなトリック。

******<注意>「続きを読む」から先はネタバレ含みます******

さて、ここからはネタバレです。

解るかこんなの、と書きましたが、Fが16進数のFとは考えませんよ、普通は。ヒントが難しすぎるんです。

僕は、理系は理系でも土木の、しかも都市計画系の学生ですから、プログラミングには慣れてないですからね。登場する用語の意味は理解できましたが、ここまでは到達できなかったです。

犯人が四季博士なのはすぐわかりました。理由は彼女が天才だからです。そうなると殺されたのが子供であることは簡単に想像できます。

僕にわかったのはそれだけでした。それ以外のあらゆるトリックは推測の外でしたね。

まさかビデオをつぶすとは・・・。そのためのプログラムとか、中々予想できんです。

それと国枝さんが女に見えないことが、あんなふうにトリックになってしまうだなんて・・・。

しかし、四季博士は美しいですね。

あの完璧さには憧れを感じます。それに届かないからこその憧れなのですが。

彼女がこの小説で見せた非論理的な感情は、偽名に「未来」を用いたことだけだったように思います。

それ以外はすべて好奇心に基づくものであり、必要に応じて成したことです。

(きっと彼女が“思い”を表すときは、何かに名前を付けるときだけでしょう。)

しっかし、犀川は彼女を誤解していると思います。

娘が天才でなかったから殺した、その点では犀川の推測は当たっていると思います。しかし、あの自白が自責の念からのものだとは思ってはいけない。多分、僕の推測では間違っています。それにああいう考えは犀川らしくないです。

四季博士に自責の念は存在しない。有るのは知的好奇心だけである。

得られる情報が限られる閉鎖された空間・・・大いなる知性がそのような環境に満足できるでしょうか?いえ、決してそんなことはないでしょう。

知性は外を動ける自由が欲しかった。だから今回の計画を実行した。

娘が四季博士を超える天才であれば、殺されたのは四季博士だったのは間違いありません。娘は四季博士を殺して、計画を実行し、自由を手に入れたでしょう。

それは四季博士の計画が、初めから「四季博士か娘か、どちらか優れた方が自由を手に入れるための計画」だったからです。レッドマジックを木馬に作った当初から、どちらか優れた者がこの一連のトリックを使うという計画だったのではないでしょうか?

結果は同じなんです。

一人の天才が自由になり、劣った者は殺されて利用される。

ただそれだけ。

四季博士は苦悩しないし、仕方なく人を殺したりもしない。全ての行動が必要と愛知(好奇心では生ぬるい)の精神から生まれてくるのです。

真賀田四季の死体として、どちらかが死ぬというのは絶対条件だったのです。だから殺した。

そこには一片の感傷もないのです。

だからこその完璧。

僕はそう思います。

あと、もう一つ。

僕は犀川の並行思考は理解できます。

萌絵のように一発集中ではないですね。

常に二者対立の仮説をブレストさせて日々生活しています。

言っていることが一致しないし、決断は遅いし、親近感~。

・・・違うのはCPUのデキですよ。犀川のほうが段違いにすごいギガですねギガ。

僕なんかメガヘルツいってるかどうかですよ・・・全く・・・化け物どもめ・・・。

ところで、今これを「シリーズ4作目として読む」にチャレンジしようと考え中。

そのためには、「博士と冷たい・・・」を一作目として読んでみるか・・・?